【~連載~川端 隆史のアジア新機軸】
第209回[シンガポール×AI組織変革]危機感は同じ、組織は違う―日本とシンガポールに広がるオペレーションギャップ

元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸
米マイクロソフトが5月5日に公表した「2026 Work Trend Index(WTI)」は、ビジネス界の主戦場が「個人のスキル論」から「AIエージェント前提の組織論」へ移行しつつあることを示した。さらに同社は6月16日、このグローバル調査を補完するシンガポール版データを公表している。
両資料を重ねて見ると、AI時代の競争力を左右するのは個人の能力よりも、組織がどこまで変革できるかであることが浮かび上がる。
WTIによれば、グローバルではAI利用者の65%が「適応できなければ取り残される」と感じる一方、45%は「AIを前提に仕事を再設計するよりも、目の前の目標達成を優先した方が安全だ」と考えている。
変化の必要性は理解しながらも、変化そのものには不安がある。これがマイクロソフトのいう「変革のパラドックス」だ。
興味深いのは、日本とシンガポールの差が現場の危機感ではなく、その危機感を受け止める組織側の対応に現れている点である。グローバルWTIでは、日本のAI利用者の66%が「AIに適応しなければ取り残される」と回答した。
シンガポール版でも同項目の割合が68%であり、現場の危機感は同水準だ。しかし、リーダーシップがAIについて明確な方向性を示していると回答した割合は、日本が14%に対し、シンガポールは24%だった。
さらにシンガポールでは88%が「AIを利用していても、最終的な思考の責任は自分にある」と回答し、今後重要なスキルとして52%が「批判的思考」を挙げた。AIを使うこと自体ではなく、AIのアウトプットを評価し、意思決定することが人間の役割だという認識が浸透している。
WTIが示した最も重要な発見は、AI活用による成果との相関の67%を組織要因が占めている点だ。個人のマインドセットや行動要因の寄与は32%にとどまる。つまり、個人のAIスキル向上だけでは限界があり、組織文化や評価制度、権限設計まで変革して初めて成果につながるのである。
このデータは、シンガポールで働く日本人ビジネスパーソンにとっても示唆に富む。日本とシンガポールの現場は、AIへの強い危機感を抱いている点では共通している。しかし、組織変革へ転換するスピードや、人間とAIの役割分担に対する考え方には違いが見られた。
シンガポールの先進企業では「AIを前提に仕事をどう再設計するか」がテーマになりつつあり、ツール導入の是非やどのツールを採用するかは主要な論点ではなくなりつつある。
シンガポールの現場では、AIを前提とした業務設計や意思決定が進んでおり、日本本社の業務観や従来型のオペレーションを前提に組織運営を行うと、現地スタッフとの間で認識のズレが生じる可能性がある。
このズレは人材の定着や組織運営にも影響しかねない。シンガポールで働く日本人にとっては、「学び」という視点よりも、すでに目の前で起きている変化への適応という視点で行動することが求められている。
Work Trend Index 2026

*2026年6月17日脱稿
プロフィール
川端 隆史 かわばたたかし
Kroll日本支社
シニア・バイス・プレジデント
外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。アジア新興国の政治経済、地政学、サイバーセキュリティ、アジア財閥、イスラム経済、スタートアップなどが主な関心事。
1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。
2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年から2023年まで米国リスクコンサルティングファームのシンガポール支社Kroll Associates (S) Pte Ltdで地政学リスク評価、非財務・法務のビジネスデューデリジェンスを手がけた。
2023年にEYストラテジー・アンド・コンサルティングのインテリジェンスユニット・シニアマネージャーとしてビジネスインテリジェンスの強化を手がけた後、2024年4月よりスタートアップのジョーシス株式会社でジョーシスサイバー地経学研究所を立ち上げ、地経学とサイバー空間をテーマに情報発信。2025年11月よりKrollに復帰し、アジア新興国を中心とした企業インテリジェンス活動に従事。
共著書に「マレーシアを知るための58章」(2023年、明石書店)「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア−政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア−イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。
栃木県足利市出身。NewsPicksプロピッカー、LinkedInトップボイス。
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