【~連載~One Asia Lawyers Groupのシンガポール法律コラム】
-第15回- シンガポールと日本の刑事手続きの違い

みなさん、こんにちはOne Asia Lawyers Group (Focus Law Asia LLC)です。今号ではシンガポールと日本の刑事手続きの違いについてご説明いたします。刑事手続きは、各国の法的、歴史的、文化的、政治的背景が色濃く反映される制度であり、下記でご説明する通り、日本とシンガポールでは大きくその制度が異なります。以下、日本とシンガポールの刑事手続きについて、主な違いを説明します。
1.捜査権限と捜査機関
◆日本:警察と検察庁が主な捜査機関です。警察が事件を捜査し、重要な事件については検察が関与するという形をとっています。捜査の過程では、逮捕や取り調べに関して厳格な手続きが存在し、被疑者の人権保護が重視されていますが、後述の通り「人質司法」といわれる問題も抱えています。
◆シンガポール:シンガポールでは警察(Singapore Police Force)が強力な捜査権限を持ち、他の機関(例えば、汚職調査局(Corrupt Practice Investigation Bureau)など)も特定の犯罪について捜査権を持っています。日本と比較して、警察、汚職調査局などの捜査機関に強力な捜査権限が与えられており、犯罪に対して厳しい姿勢を示すことにより、安全な環境をつくるというシンガポールの政策が反映されていると思われます。
2.逮捕、拘留期間
◆日本:日本の場合は逮捕後勾留は最大23日間まで延長される可能性があります。裁判所が勾留延長の許可をする場合、警察や検察が更なる捜査を行いますが、被疑者の人権保護のために裁判官が勾留の妥当性を審査します。もっとも、後述の通り23日間の間、原則的に保釈が認められることがなく、刑事裁判において無罪を主張するほど身体拘束が長引くこととなり、裁判を受ける権利の侵害、虚偽自白や供述調書への同意によって冤罪の原因になってしまうとして、「人質司法」と国際的に批判を浴びています。
◆シンガポール:逮捕後の拘留期間は最大48時間までで、それ以上の拘留には裁判所の許可が必要です。48時間以内に正式な訴追が行われるか、保釈が認められない場合は、裁判所の審査を経て長期間の勾留が可能です。日本に比べて、起訴前に保釈が認められやすいのが特徴ですが、外国人の場合は、逮捕の段階でパスポートが没収されることが多いため、日本などへの帰国は困難となります。
3.保釈
◆日本:日本では刑事訴訟法に基づき、「保釈」という制度は起訴後の被告人のみに適用されます。したがって、起訴前(被疑者段階)には保釈制度はありません。代替制度として、起訴前の段階では、検察や裁判所が勾留請求を認めない場合や、勾留期間が満了する場合に被疑者が釈放されます。また、警察の判断で「留置」されずに釈放されることもあります(いわゆる「任意捜査」の範囲での対応)。
◆シンガポール:シンガポールでは、日本とは異なり、起訴前の段階でも「保釈」(Bail)が制度として存在します。保釈は逮捕後すぐに警察または裁判所の判断により認められる場合があります。ただし、特定の重大犯罪(例:殺人罪や一定量を超える薬物密輸など)では保釈が原則として認められません。
4.弁護士人選任権
◆日本:被疑者や被告人は、捜査段階および裁判段階を通じて、いつでも弁護人を選任する権利があります(日本国憲法第37条および刑事訴訟法第30条)。自費で弁護人を選任する場合、どの段階でも自由に私選弁護人を選べますが、経済的理由で私選弁護人を雇えない場合、以下の条件で国が国選弁護人を提供します。
▪ 起訴後:軽微な犯罪を除くすべての事件で選任可能
▪ 起訴前(被疑者段階):重大犯罪(法定刑が死刑または無期懲役など)で一定の条件を満たす場合にのみ認められます(2018年改正により対象が拡大)
◆シンガポール:被疑者や被告人には弁護人を選任する権利があります(シンガポール憲法第9条)が、弁護士費用が高額であるため私選弁護人の選任が困難な場合があります。このため、法定弁護人制度が適用され無料で弁護士人が提供される「死刑が適用される可能性のある特定の犯罪」(例:殺人罪、薬物犯罪)や法律支援局(Legal Aid Bureau)などの支援がなされる場合を除いては、実務上は、弁護士人なしで裁判を受けざるを得ないケースもあります。
5.証拠と自白、黙秘権の取り扱い
◆日本:自白は証拠として重視されますが、自白の任意性が疑われる場合は証拠としての採用が制限されることがあります。警察や検察による強制的な自白の取得は厳格に規制されており、裁判での信頼性が問われます。
◆シンガポール:自白も証拠として重要視されますが、証拠の採用基準が日本と比較して緩やかであり、警察が得た自白が裁判で容易に採用される傾向にあると評価されています。また、黙秘権を行使した場合、一定程度、被告人不利に推認されることも許容されており、被告人の権利保護は日本に比較して制限されています。
6.刑罰
◆日本:日本では死刑や無期懲役のほか、懲役刑や罰金などが科されますが、死刑判決が執行されることはまれです。
◆シンガポール:死刑や鞭打ちなど、厳しい刑罰が存在します。特に、殺人罪、テロ関連犯罪、武装強盗致死などに加え、薬物犯罪に対しても死刑を含めた厳しい制裁が科されることが有名で、シンガポールの政策が反映された強い犯罪への抑止力として有名です。
7.執行猶予制度
◆日本:執行猶予は、日本の刑事法において、有罪判決を受けた者に対して、一定の条件を満たせば刑の執行を一時的に停止し、その期間内に再犯しない場合は刑が免除される制度です。対象となる犯罪は、 比較的軽微な犯罪(罰金刑、または懲役・禁錮が3年以下の場合など)が対象で、1年から5年の間で裁判所が執行猶予期間を決定します。日本では幅広く運用されており、初犯である場合は、執行猶予となることが多いのが実務上の運用です。
◆シンガポール:シンガポールでは「執行猶予」という概念は厳密には存在しません。日本の執行猶予制度に近い形として、条件付免役(Conditional Discharge)や感化処分(Probation)があります。もっとも、いずれも日本に比べて、極めて限定的に運用されており、刑の執行が免除されるのは極めて限定的な場面に限られます。
上記の他にも、
▪ シンガポールにおいては、被害者などとの示談の交渉が困難であること(このため、日本では被害弁償をすることで起訴を免れるような事案でも、シンガポールでは起訴されてしまう可能性があること)、
▪ シンガポールにおいては、外国人の犯罪として、すぐにマスメディアなどによって報道される恐れがあること、
▪ シンガポールにおいては、逮捕された際にパスポートを没収されてしまい、不起訴になるまでの間、事実上、シンガポール国外に出ることは困難となる場合が多いこと、
▪ シンガポールにおいて外国人が犯罪を行った場合、強制退去となる、ワーキングビザなどの取得・更新が困難となり、シンガポールに居住を続けることが難しくなることがあること、
などの数々の日本の刑事手続きとは異なる点があります。
このように、日本とシンガポールの刑事手続きには大きな違いがあるため、万が一、刑事手続きに巻き込まれてしまった場合には、専門家から慎重にアドバイスを求めることが推奨されます。
筆者:栗田哲郎(シンガポール法(Foreign Practitioner Examinations)・日本法・アメリカNY州法弁護士)
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One Asia Lawyers Group

One Asia Lawyers Groupは、アジア全域に展開する日本のクライアントにシームレスで包括的なリーガルアドバイスを提供するために設立された、独立した法律事務所のネットワークです。One Asia Lawyers Groupは、日本・ASEAN・南アジア・オセアニア各国にメンバーファームを有し、各国の法律のスペシャリストで構成され、これら各地域に根差したプラクティカルで、シームレスなリーガルサービスを提供しております。
One Asia Lawyersグループ拠点・メンバーファーム 24拠点(2023年8月時点) ・ASEAN(シンガポール、タイ、マレーシア、ベトナム、フィリピン、インドネシア、カンボジア、ラオス、ミャンマー) ・南アジア(インド、バングラデシュ、ネパール、パキスタン) ・オセアニア(オーストラリア、ニュージーランド) ・日本国内(東京、大阪、福岡、京都) ・中東(アラブ首長国連邦(UAE/ドバイ・アブダビ・アジュマン)) ・その他(ロンドン、深圳(駐在員事務所)) ・メンバー数(2023年8月時点) 全拠点:約400名(内日本法弁護士約40名) |
栗田哲郎 Tetsuo Kurita
One Asia Lawyers Group / 弁護士法人 One Asia 代表弁護士(シンガポール法(FPE)・日本法・アメリカNY法) tetsuo.kurita@oneasia.legal |
2004年より日本の大手法律事務所(森・濱田松本法律事務所)に勤務後、スイス・アメリカへの留学を経て、シンガポールの大手法律事務所(Rajah & Tann)にパートナー弁護士として勤務。その後、国際法律事務所(ベーカーマッケンジー法律事務所)においてアジアフォーカスチームのヘッドを務め、日本企業のアジア進出・M&A・紛争解決に従事する。
その後、2016年7月One Asia Lawyers Groupを創設(シンガポールのメンバーファームはFocus Law Asia LLC)し、シンガポールを中心にアジア全般のクロスボーダー法務(クロスボーダーM&A、国際商事仲裁等の紛争解決、国際労働法等)のアドバイスを提供している。
2009年よりシンガポールに拠点を移し、2014年日本法弁護士としては初めてシンガポール司法試験(Foreign Practitioner Certificate)に合格、日本法・アメリカNY州法に加えて、シンガポール法のアドバイスも提供している。
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