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第201回[宗教×現代社会]断食のあと。シンガポールとマレーシア、二つのイスラムのかたち。

【~連載~川端 隆史のアジア新機軸】
第201回[宗教×現代社会]断食のあと。シンガポールとマレーシア、二つのイスラムのかたち。

元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸

先週、イスラム教の断食月(ラマダン)が終わった。ムスリム(イスラム教徒)の休暇も終わり、再び日常が戻りつつある。イスラム世界においてこの一か月が持つ意味と、地続きでありながら対照的な歩みを見せるシンガポールとマレーシア、二つの異なるイスラムのあり方について考察したい。

ラマダンとは、イスラム教における五行の一つであり、貧者の気持ちを理解するという教えが背景にある。この一か月間、日の出から日没まで一切の飲食を断つ。そこにあるのは、何世紀にもわたり厳格に受け継がれてきた「精神の純化」という、揺るぎない宗教的意義である。近代化が進み、今日のようにデジタル社会となっても、脈々と続けられている行為である。

ラマダンは普遍的な信仰を基盤としているが、シンガポールとマレーシアという隣り合う両国が見せる祝祭の風景は、その国家の成り立ちを映し出すかのように対照的である。

シンガポールにおいて、イスラム文化は「多民族国家の調和」を維持するための重要な要素として、精緻に社会構造へと組み込まれている。少数派としてのイスラムは、世俗主義という国家の大原則の下、他民族との「共生」を前提とした位置づけだ。

祝祭の場であるゲイラン セライなどの光景は、宗教行事が都市のダイナミズムと見事に調和している。そこでみられる姿はムスリムだけではない。多様な背景を持つ市民が等しく参加できる空間となっている。ここでは、伝統が国家の統合を象徴するパズルのピースとして、現代的に管理されていると言えるだろう。

一方で、マレーシアにとってのイスラムは、国家のアイデンティティそのものであり、憲法が保障する「国教」という地位がある。断食明け休暇のハリラヤに際して展開される「バリ カンポン(帰省)」のエネルギーは凄まじい。

政治家も宗教問わずに自宅やコミュニティホールを開放して「オープンハウス」を行い、市民とともにお祝いをする。マジョリティとしてのイスラムの存在、そして、国家アイデンティティの中核としての地位を感じる。

筆者は大学でマレーシア専攻からアジアとの関わりがスタートした。マレーシアに住んでいた頃、朝や夕方の礼拝時間にモスクから流れてくるアザーン(お祈りの呼びかけ)に親しみがある。

シンガポールに来たら、多宗教への配慮もあり、アザーンが聞こえてくることはないことを知ったときは新鮮だった。なるほど、この国の成り立ちを反映している。どちらもそれぞれのイスラムのかたち、である。

同じイスラムで隣り合わせの国でも、社会における表象は違う。私たち日本人がこの「祭りのあと」の風景から学ぶべきは、デジタル化が加速する現代社会においても、社会を動かす深層にはこうした揺るぎない宗教的・伝統的規範が根付いているという事だ。

データだけでは理解することができない、人々の行動に根付いたアイデンティティの源泉を洞察することも大切だろう。これは、現地にいるときにしかできないことでもあるのだ。

シンガポールのカンポン グラムにあるサルタンモスク(qpte89/pixabay)

 

*2026年3月18日脱稿

プロフィール

川端 隆史 かわばたたかし

Kroll日本支社
シニア・バイス・プレジデント

外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。アジア新興国の政治経済、地政学、サイバーセキュリティ、アジア財閥、イスラム経済、スタートアップなどが主な関心事。

1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。

2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年から2023年まで米国リスクコンサルティングファームのシンガポール支社Kroll Associates (S) Pte Ltdで地政学リスク評価、非財務・法務のビジネスデューデリジェンスを手がけた。

2023年にEYストラテジー・アンド・コンサルティングのインテリジェンスユニット・シニアマネージャーとしてビジネスインテリジェンスの強化を手がけた後、2024年4月よりスタートアップのジョーシス株式会社でジョーシスサイバー地経学研究所を立ち上げ、地経学とサイバー空間をテーマに情報発信。2025年11月よりKrollに復帰し、アジア新興国を中心とした企業インテリジェンス活動に従事。

共著書に「マレーシアを知るための58章」(2023年、明石書店)「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア−政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア−イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。

栃木県足利市出身。NewsPicksプロピッカー、LinkedInトップボイス。
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