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第174回[シンガポール×政治]「予定された勝利」の裏側にある変化─2025年シンガポール総選挙の実相

【~連載~川端 隆史のアジア新機軸】
第174回[シンガポール×政治]「予定された勝利」の裏側にある変化─2025年シンガポール総選挙の実相

元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸

2025年5月3日のシンガポール総選挙で、与党・人民行動党(PAP)は全97議席中87議席を獲得し、得票率も2020年の61.2%から65.6%へと上昇した。多くの報道は「ウォン首相の信任」「PAP圧勝」を見出しに掲げた。しかし、制度構造によってあらかじめ予定された結果だ。

注目すべきは、制度の枠内で有権者の選好がどのように動き、野党がどこまで論点を浸透させたかという、ミクロを手がかりにシンガポール社会をマクロ的に理解することである。

まず、制度的な文脈を押さえておきたい。今回の総選挙では、全97議席のうち76議席が「集団代表選挙区(GRC)」から選出された。GRC制度は少数民族代表の確保を目的としている。数名の候補者をチームとして投票する仕組みであり、勝てば総取り、負ければゼロとなる。PAPはここで大幅に議席を獲得している。

そうした制度のなか、最大野党の労働者党(WP)は、獲得議席数は前回と同じ10議席だったが、得票率は11.2%から15.0%へと伸ばし、2006年の16.3%に次ぐ結果となった。WPはアルジュニド、センカン、ホウガンの各GRCを維持した。

また、タンピネス、プンゴルといったPAPが強いGRCでもWPは45%を超える得票を得て、2つの非選挙区議員(NCMP、選挙では落選しても得票率が高く議会に参加できる野党枠)枠を獲得した。WPは前回から実質的に2議席増となった。

その他の野党は退潮が目立った。進歩シンガポール党(PSP)は前回のNCMP枠2議席からゼロに転落。他の小政党は得票率1%未満に沈み惨敗。PAPとWPの得票率が上昇した背景には、他の野党から票が流れたことが大きい。ゆえに、PAPの勝利という点だけに注目しても無意味で、WPの伸張と他の野党が惨敗したことが重要だ。

今回、WPは最低賃金の導入、公営住宅の価格抑制、社会的セーフティーネットの拡充などを掲げ、PAPも対抗するように現金給付や中間層支援を前面に出した。さらに、大臣給与、年金制度、移民・外国人労働者の扱いといった、従来は正面から取りあげにくかった論点も議論された。PAPの得票率回復は、野党が先行して示した論点を吸収し、応答したことも大きいだろう。

ゆえに、選挙分析としてはPAP体制の堅固さは前提であるため、「与党が議席を守ったか否か」ではなく、論点の軸に注目すべきだ。 

シンガポール総選挙:政党別得票率(2001年以降、単位:%)

*2025年5月6日脱稿

プロフィール

川端 隆史 かわばたたかし

ジョーシス株式会社
ジョーシスサイバー地経学研究所(JCGR) 所長兼主任研究員

外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。東南アジアなど新興国政治経済、地政学、サイバーセキュリティ、アジア財閥、イスラム経済、スタートアップエコシステム、テロ対策・危機管理などが主な関心事。

1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。

2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年から2023年まで米国リスクコンサルティングファームのシンガポール支社Kroll Associates (S) Pte Ltdで地政学リスク評価、非財務・法務のビジネスデューデリジェンスを手がけた。

2023年にEYストラテジー・アンド・コンサルティングのインテリジェンスユニット・シニアマネージャーとしてビジネスインテリジェンスの強化を手がけた後、2024年4月よりジョーシス株式会社にてジョーシスサイバー地経学研究所を立ち上げ、地経学とサイバー空間をテーマに情報発信。

共著書に「マレーシアを知るための58章」(2023年、明石書店)「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア−政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア−イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。

栃木県足利市出身。NewsPicksプロピッカー、LinkedInトップボイス。
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