【~連載~川端 隆史のアジア新機軸】
第156回[アジア×スイス]ジュネーブでみたアジア的なるもの。オードリー・ヘップバーンの村でみた日本語
元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸
前回に続いて、ジュネーブ滞在記を語ろうと思う。ジュネーブに15日間滞在するなか、欧州らしい街中の建造物や食事に触れる機会も楽しみつつも、アジアウォッチャーとしては、ついついアジア的なるものに目が向いてしまう。
最初に私が触れたアジア的なる要素は、休日の公園で談笑するフィリピン人たち。タガログ語が聞こえてきたので、すぐに分かった。シンガポールでも同じような光景をみる。様々な情報ソースをあたると、1万人以上のフィリピン人がスイス、特にジュネーブを中心に住んでいるようだ。OFW(Oversea Filipino Workers)と呼ばれる、200万人近くいる在外フィリピン人の一部を成す人たちだ。多くはホームヘルパーとの情報があるが、一部は医師・看護師、法律家、金融といった専門性の人材もいる模様だ。
レストランは、いわゆるスイス、イタリア、ドイツ、フランスといった欧州系の店が多い中、目立っていたアジア系はトルコ料理だ。外食物価が高いジュネーブでは、トルコ料理は強い味方。ケパブやキョフテ(トルコ風ハンバーグ/ミートボール)は10スイスフラン程度(約1,700円)から提供する店が見つかり、ボリュームもある。スイス公共放送のWEBサイトに掲載された2023年の記事によれば、約13万人のトルコ人がスイスに在住している。うち45%がスイス国籍取得者、40%がスイス生まれ、男女比は男性が54%と46%の女性をやや上回る。
このほかにもタイ料理はジュネーブ・コアントラン国際空港をはじめ、ジュネーブ大学の食堂メニューなど、そこそこの数を目撃した。デパートやスーパーのレストランコーナーで食事をしていると、インドネシア語が耳に入ってくることもあった。そして、留学している息子は早速、シンガポール人の友人ができた。
街中で日本語を目にする機会は限られたが、印象的だったのはオードリー・ヘップバーンが晩年を過ごしたトロシュナ村。ジュネーブ駅からスイス国鉄とバスを乗り継いで1時間ほどの場所にある。
村に入る最初のバス停にあった案内板はフランス語とドイツ語のみだったが、オードリー胸像が飾られているオードリー・ヘップバーン広場にあった案内板は英語と日本語だった。彼女が日本人からいかに愛されていたかうかがえる。訪れる日本人も結構いるのだろう。大女優が静かに暮らした村で日本語を目撃し、スイスの旅を終えたことは感慨深く、強い印象が残った。
*2024年9月24日脱稿
プロフィール
川端 隆史 かわばたたかし
EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社
ストラテジー/インテリジェンスユニット シニアマネージャー
外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。主な研究テーマは東南アジアなど新興国マクロ政治経済、地政学、アジア財閥ビジネスの変容とグローバル化、イスラム経済、医療・ヘルスケア産業、スタートアップエコシステム、テロ対策・危機管理。
1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。
2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年から2023年まで米国リスクコンサルティングファームのシンガポール支社Kroll Associates (S) Pte Ltdで地政学リスク評価、非財務・法務のビジネスデューデリジェンスを手がけた。
2023年にEYストラテジー・アンド・コンサルティングのインテリジェンスユニット・シニアマネージャーとしてビジネスインテリジェンスの強化を手がけた後、2024年4月よりITデバイス&SaaSの統合管理クラウドを提供する現所属にて情報発信を担当。
共著書に「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア-政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア-イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。
栃木県足利市出身。NewsPicksプロピッカー、LinkedInトップボイス。
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