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第144回[シンガポール×政治]ローレンス・ウォン政権の発足をめぐるメディア論調への疑問

【~連載~川端 隆史のアジア新機軸】
第144回[シンガポール×政治]ローレンス・ウォン政権の発足をめぐるメディア論調への疑問

元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸

5月15日、ローレンス・ウォン氏がシンガポールの新首相に就任した。約20年にわたったリー・シェンロン政権が幕を閉じた。この動きを受けて、様々なメディアで評論が出てきているが、いくつか、違和感を覚える内容がある。これまでに本コラムで時々触れてきたことではあるが、重要な点のみ取り上げておきたい。

まず、「リー家」という視点である。確かに、シンガポールは「リー家」抜き語ることはできない。シンガポールの建父はリー・クアンユーであるし、そしてリー・シェンロンという存在がある。家族でもリー・シェンロンの妻ホー・チンはテマセク・ホールディングスのCEOという要職に就いている。シンガポール経済において、資産総額3800億シンガポールドルの政府所有の投資ファンド、つまりソブリンウェルスファンドであるテマセクの存在は大きい。

ただ、これをもって、リー家がシンガポールという大きな主語で語ってしまって良いのか疑問だ。そもそも、これまで本コラムで数回は取り上げた通り、シンガポールはゴー・チョクトンというリー家出身者以外の首相の治世を1990〜2004年の14年間も経験している。リー・クワンユーとリー・シェンロンが閣内にいたものの、ゴー・チョクトン氏自らのカラーのある政策が展開された。

次に、カリスマ不在という論評だ。今のシンガポールはカリスマで引っ張っていくべき国なのだろうか。もはや、仕組み化された国家だ。適切なリーダーシップを持ち、聡明で合理的な判断ができるリーダーで十分ではないかと思う。カリスマは個性に依存するし、その人物の持つヒストリーにも依存する。

その意味では、リー・シェンロンは国父の息子だという側面はあったが、実務家でありカリスマ政権だったとは言えない。国民から一定の敬意を受け、聡明で合理的な判断ができる指導者であれば、システム化されたシンガポールのトップに立つ条件は揃っているのではないか。

ほかの先進国を見渡しても、国民が全体的に魅せられるようなカリスマを持つ指導者はほとんどいない。かつての独立期を勝ち得たときの英雄的な存在や国を高度成長に牽引したリーダーといった人物を必要とする時代は、シンガポールでは終わった。システムを常にアップデートしていく、そうした、ある意味で敏腕の企業経営者のような能力と、そして政治家として、合理性だけでは割り切れない国民の課題や心情に思いを寄せられる資質が必要な時代だろう。

最後にシンガポールの中立外交という論評だ。中立よりも実利と表現すべきだろう。シンガポールは都市国家として危機感を持ち、どうすれば国際社会の荒波で生き残れるのかという視点からの外交・通商政策が大半である。

時には大国の間で絶妙なポジションもする。例えば、2018年にカペラホテルで行われた米朝首脳の会談はその典型だ。米国の安全保障とトランプ政権の課題をサポートし、一方で、北朝鮮にとっても米国とのつなぎができるという、両者のポイントをうまく突いた形だ。米国と北朝鮮は国家体制とイデオロギーが全く異なる。中立外交ではなく実利外交と評すべき動きだったといえる。

今回は、巷の論評に対して少々辛口な意見を述べた。なんとなくこうみえる、という論評が流れてしまいがちのタイミングではあるが、引き続き、シンガポールという国と新政権を冷静に見守っていきたい。

*2024年5月22日脱稿

プロフィール

川端 隆史 かわばたたかし

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社
ストラテジー/インテリジェンスユニット シニアマネージャー

外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。主な研究テーマは東南アジアなど新興国マクロ政治経済、地政学、アジア財閥ビジネスの変容とグローバル化、イスラム経済、医療・ヘルスケア産業、スタートアップエコシステム、テロ対策・危機管理。

1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。

2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年から2023年まで米国リスクコンサルティングファームのシンガポール支社Kroll Associates (S) Pte Ltdで地政学リスク評価、非財務・法務のビジネスデューデリジェンスを手がけた。

2023年にEYストラテジー・アンド・コンサルティングのインテリジェンスユニット・シニアマネージャーとしてビジネスインテリジェンスの強化を手がけた後、2024年4月よりITデバイス&SaaSの統合管理クラウドを提供する現所属にて情報発信を担当。

共著書に「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア-政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア-イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。

栃木県足利市出身。NewsPicksプロピッカー、LinkedInトップボイス。
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