【~連載~川端 隆史のアジア新機軸】-第105回- マレーシアが生んだ至宝ミシェル・ヨー、全米映画俳優組合賞を受賞。アカデミー賞なるか[マレーシア×ハリウッド映画]
元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸
「エブリシング・エブリウェア・アット・ワンス」に主演したミッシェル・ヨーが全米映画俳優組合賞、いわゆるSAG賞を獲得した。ミシェルは「心臓が爆発してしまいそうだ」と言いながら最高の感動を包み隠さずに、満面の笑みでスピーチをした。
映画界においてSAG賞は名声が高く、アカデミー賞の前哨戦としても知られている。ミシェルはアジア系として初のアカデミー主演女優賞に大手をかけた形だ。
ミシェルは、マレーシア人として世界で最も有名な人物のひとりだろう。香港女優と間違われることの多い彼女は、生粋のマレーシア人である。2001年にマレーシア国王からダト、2012年にダトスリ、2013年にペラ州スルタンからタンスリの称号を得ている。
彼女は、ペラ州の州都イポーで1962年に、ヨー・チョーケン(Yeoh Choo Kheng、楊紫瓊)という名で生を受けた。1962年といえば、マラヤがイギリス保護国ボルネオ(現在のサバ州)とイギリス領サラワク(現在のサラワク州)、そしてシンガポールと一緒にマレーシア連邦として独立する1年前だ。
母は弁護士、父はマレーシア華人協会(華人系政党MCA)の政治家という家庭に生まれた。中国語も流ちょうに話す彼女だが、実は家庭環境は英語とマレー語であり、後から広東語や中国語を学んだ。マレーシアの華人系の家庭では、両親の言語が異なっていたり、英語やマレー語主体だったりというケースもある。ミシェルはそんな家庭環境にいた。
幼少期からパフォーミングアーツに関心を持ち、ロンドンでのダンス留学を経て、ミス・マレーシアに選ばれて知名度を高めた。彼女を映画界へと橋渡ししたのは、あの香港スターのサモ・ハン・キンポーだ。しかし、実はミシェルはいったん、結婚を機に女優業を辞めている。
そして、スターへの道につながる階段を上り始めたのがジャッキー・チェンの「ポリス・ストーリー3」や「宗家の三姉妹」といった、映画界での高い評価を得た作品への出演だ。この二つ作品は、アクションとシリアスな歴史もので全く性質が異なり、ミシェルの演技の幅を見せることとなった。
そして、彼女の人生をさらに引き上げたのが「007トゥモロー・ネバー・ダイ」のボンドガールに抜擢され、ハリウッドに本格進出した。個人的に、ミシェルの映画といえば「ザ・レディ」であり、アウンサンスーチー役を本人の生き写しかと思うほどの迫真の演技を見せてくれた。
ミシェルは昨年に60歳、日本で言えば還暦を迎えたが、そのパワフルな活躍はとどまる様子を見せない。今年は「トランスフォーマー/ビースト覚醒」、来年は「アバター3」とヒット確実な作品に出演をしていく。マレーシアが生んだ世界の至宝はアカデミー女優賞を受賞できるのか、大いに注目である。
ミシェル・ヨー略歴(映画は代表的な作品のみ、出演作は30本以上)
出所:各種報道より筆者作成
画像:2017年カンヌ国際映画祭でのミシェル・ヨー(Wikimedia Commons/Georges Biard)
*2023年3月6日脱稿
プロフィール
川端 隆史 かわばたたかし
クロールアソシエイツ・シンガポール シニアバイスプレジデント
外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。主な研究テーマは東南アジアや新興国を軸としたマクロ政治経済、財閥ビジネスのグローバル化、医療・ヘルスケア・ビューティー産業、スタートアップエコシステム、ソーシャルメディア事情、危機管理など。
1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。
2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年12月より現職。共著書に「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア-政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア-イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。
東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所共同研究員、同志社大学委嘱研究員を兼務。栃木県足利市出身。