HOMEコラム【~連載~川端 隆史のアジア新機軸】-第100回-[古代エジプト×現代アジア]数千年の時を経て、古代エジプトから現代人が学ぶべき事

【~連載~川端 隆史のアジア新機軸】-第100回-[古代エジプト×現代アジア]数千年の時を経て、古代エジプトから現代人が学ぶべき事

元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸

いつもはシンガポールから現代アジアを観察しているが、たまには違うところから見つめ直すことも重要だ。これは年末年始のエジプトとトルコの滞在で痛感した。リモート〇〇が普及しても、現代東南アジアとは違う価値体系の社会に身をおいて、自分の視点を磨き、相対化することで得られる視点は多い。

エジプト古代史は圧巻だ。カイロにあるエジプト考古学博物館には、紀元前31世紀の第1王朝初代ファラオ(王)だったナルメルのパレットが所蔵されている。その後、古代エジプトは紀元前30年にクレオパトラで有名なプトレマイオス朝が滅びるまで、約3000年間にわたって存続した。この間、現代の基礎は大体できてしまったのではないかと思える。

遺跡には信仰、生産、統治、生活、戦争など、当時が分かる様子が描かれている。例えば、ファッションやデザインでは、ヒョウ柄、星柄、ドット柄に似たブドウ柄、そしてネックレス、髪飾り、指輪などの精巧なアクセサリーなど、今見ても新鮮だった。訪問人数制限があるネフェルタリの墓や、あまり訪問者がいない穴場のセンネフェルの墓などは保存状態が良く、美しい色彩を楽しむことが出来る。

そして、日本人として忘れてはならないのはルクソールにあるハトシェプスト女王葬祭殿跡だ(同女王の在位は紀元前15世紀)。1997年11月17日、日本人10名を含む外国人観光客やガイド、エジプト人警察官の計62名が殺害されたテロ事件が発生した。海外で発生したテロで日本人が最も亡くなったのは9.11米国同時多発テロ事件の24名であり、それに次ぐ被害であった(同じく10名の日本人がアルジェリアで武装集団による襲撃で死亡)。

この葬祭殿を造営したハトシェプストは、外交や交易を通じて国家を繁栄させようとした。当時の共同統治者で戦上手だったトトメス3世とは対照的な人物である。戦争を好まなかった彼女が太陽神を祭るために造営した場所で、約3500年後の現代に発生した惨劇。その現場に身を置きながら、過去に犠牲になった人々からの教訓を経て、今、海外での安全策がとられていることを感じた。

限られた紙幅では語り尽くすことはできないほど古代エジプト文化は豊かであり、現代人が学ぶべき事は多い。次回は、もう一つの滞在先だったトルコと東南アジアの意外な関係について書こうと思う。


ネフェルタリの墓は最も保存状態が良いとされる遺跡の一つ。数千年を経ても美しい色彩が残る

紀元前15世紀のテーベ(現ルクソール)市長だったセンネフェルの墓。ぶどう園にいるかのような壁画が残る。

ハトシェプスト葬祭殿跡は観光客で賑わうなか、多くの警官が配備されていた

*2023年1月10日脱稿

プロフィール

川端 隆史 かわばたたかし

クロールアソシエイツ・シンガポール シニアバイスプレジデント

外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。主な研究テーマは東南アジアや新興国を軸としたマクロ政治経済、財閥ビジネスのグローバル化、医療・ヘルスケア・ビューティー産業、スタートアップエコシステム、ソーシャルメディア事情、危機管理など。

1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。

2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年12月より現職。共著書に「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア-政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア-イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。

東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所共同研究員、同志社大学委嘱研究員を兼務。栃木県足利市出身。

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