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第172回[タイ×リスク管理]王室侮辱罪で米国人学者が逮捕、現地法と習慣への理解を再点検

【~連載~川端 隆史のアジア新機軸】
第172回[タイ×リスク管理]王室侮辱罪で米国人学者が逮捕、現地法と習慣への理解を再点検

元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸

2025年4月、タイにおいてアメリカ人政治学者ポール・チェンバース氏が王室侮辱罪(刑法第112条)およびコンピューター犯罪法違反の容疑で逮捕された。この事件は、外国人学者が同罪で起訴される稀なケースであり、学術の自由や表現の自由に関する国際的な議論を呼び起こしている。

発端は、2024年10月にシンガポールのISEAS–Yusof Ishak Instituteが主催したウェビナー「タイの2024年の軍・警察人事異動:その意味は?」の告知文にあるとされる。この告知文が、タイ王室の軍人事への関与を示唆し、王室の名誉を傷つけたとタイ陸軍が主張し、告訴に至った。チェンバース氏は、この告知文の作成や掲載には関与しておらず、ウェビナーの講演者として参加しただけであると主張している。

経緯はこうだ。2025年3月31日、ピサヌローク県の裁判所が逮捕状を発行し、4月8日にチェンバース氏が自ら警察に出頭、逮捕・収監された。第一審では保釈が認められなかったが、4月9日に控訴審で保釈が認められ、30万バーツ(約128万円)を支払い釈放された。しかし、同日中にタイ移民局がビザを取り消し、国外退去の可能性が浮上した。

チェンバース氏の弁護団はビザ取り消しに対して異議申し立てを行い、結果待ちの状況だ(4月15日時点)。​​現在、チェンバース氏は電子監視装置を装着し、パスポートを押収された状態で保釈中となり、結果を待っている状況だ。

タイの王室侮辱罪は、王族に対する名誉毀損や侮辱を厳しく罰する法律で、3年から15年の懲役刑が科される。この法律に基づいて2020年以降、270人以上が起訴されている。チェンバース氏の事件は、外国人学者が同罪で起訴される稀なケースだ。

この事件に対し、アメリカ国務省は「表現の自由の尊重」をタイ政府に求め、国際的な人権団体も学術の自由への重大な侵害として懸念を表明している。王室はタイの政治体制と歴史に深く根付くものであり、米国との価値観の差が如実に表れている。

タイの王室侮辱罪については、現地でビジネスをする日本人も十分に注意する必要がある。個人的な価値観とは別に、法令を理解し、過去事例に学びビジネス上のリスクマネジメントとして備えておく必要がある。また万一、王室侮辱罪が適用されてしまった場合も想定した対応シナリオも用意しておくことが必要だ。

*2025年4月16日脱稿

プロフィール

川端 隆史 かわばたたかし

ジョーシス株式会社
ジョーシスサイバー地経学研究所(JCGR) 所長兼主任研究員

外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。東南アジアなど新興国政治経済、地政学、サイバーセキュリティ、アジア財閥、イスラム経済、スタートアップエコシステム、テロ対策・危機管理などが主な関心事。

1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。

2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年から2023年まで米国リスクコンサルティングファームのシンガポール支社Kroll Associates (S) Pte Ltdで地政学リスク評価、非財務・法務のビジネスデューデリジェンスを手がけた。

2023年にEYストラテジー・アンド・コンサルティングのインテリジェンスユニット・シニアマネージャーとしてビジネスインテリジェンスの強化を手がけた後、2024年4月よりジョーシス株式会社にてジョーシスサイバー地経学研究所を立ち上げ、地経学とサイバー空間をテーマに情報発信。

共著書に「マレーシアを知るための58章」(2023年、明石書店)「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア−政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア−イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。

栃木県足利市出身。NewsPicksプロピッカー、LinkedInトップボイス。
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