【~連載~川端 隆史のアジア新機軸】 -第121回- [グローバルサウス×BRICS] 投資のための概念から国際政治における実態を備えつつあるBRICS
元外交官 × エコノミスト 川端 隆史のアジア新機軸
昨今、グローバルサウスが新たなキーワードとして注目を受けるなか、8月22日、BRICS首脳会議が南アフリカのヨハネスブルグで開幕した。参加国はBRICSのとおり、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカである。
今回、首脳が参加したのはブラジル、インド、南アフリカのみであったが、ロシアはウクライナ情勢の関係があり、中国は国家主席が参加する会合はそもそも限定なため、期待値通りの参加レベルと言えるだろう。国際情勢を受けて、BRICS会合への注目度は、これまでになく高い。
グローバルサウス、古くは南南協力や非同盟運動など、いわゆる「南」に関する様々な会合が存在するが、BRICSは異彩を放つ存在だ。通常、こうした会合や協力機構は政治や経済的な動機があって形成される。しかし、BRICSは民間の投資銀行からの投資アイディアが発端となっており、あとから政治経済的な意味合いが増してきたという特殊性がある。
BRICSという言葉の提唱者は、ゴールドマンサックスのエコノミストであったジム・オニール氏である。オニール氏が中心となって執筆し、2001年11月に発表された”Building Better Global Economic BRICs”のという報告書を通じて、金融関係者を皮切りに、BRICSという呼び方がメディアを通じて徐々に知られるようになった。
ちょうど、アジア通貨危機がある程度落ち着き、次なる投資テーマとしてBRICSというまとまりを投資家に提案した、という流れがあった。BRICSの会合が初めて行われたのは、2009年、ロシアのエカテリンブルクであり、南アフリカは2011年から参加した。
さて、通常、地域協力機構は、地理的な近接性をベースに形成されてゆく。シンガポールも参加する東南アジア諸国連合(ASEAN)は、東南アジア地域の国々が集まって形成され、かつ、当初の目的は「反共の砦」という色彩であった。冷戦の崩壊に伴い、イデオロギーから経済協力へと移行した経緯がある。
また、G20の地域を越えた枠組みもあるが、こちらは協力機構というよりは会議体として存在している。BRICSも、また協力機構といには総称で会議体と捉えておく方が適切だろう。
BRICSは、まだ、統一的な意思などは生み出す段階にはないと思われる会議体だ。しかし。昨今の世界情勢の鍵を握る国が参集しているため、各国政治ハイレベルの発言内容は注目しておきたい。
写真:Wikimedia Commons
*2023年8月23日脱稿
プロフィール
川端 隆史 かわばたたかし
EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社
ストラテジー/インテリジェンスユニット シニアマネージャー
外交官×エコノミストの経験を活かし、現地・現場主義にこだわった情報発信が特徴。主な研究テーマは東南アジアなど新興国マクロ政治経済、地政学、アジア財閥ビジネスの変容とグローバル化、イスラム経済、医療・ヘルスケア産業、スタートアップエコシステム、テロ対策・危機管理。
1999年に東京外国語大学東南アジア課程を卒業後、外務省で在マレーシア日本国大使館や国際情報統括官組織等に勤務し、東南アジア情勢の分析を中心に外交実務を担当。2010年、SMBC日興証券に転じ、金融経済調査部ASEAN担当シニアエコノミストとして国内外の機関投資家、事業会社への情報提供に従事。
2015年、ユーザベースグループのNewsPicks編集部に参画し、2016年からユーザベースのシンガポール拠点に出向、チーフアジアエコノミスト。2020年から2023年まで米国リスクコンサルティングファームのシンガポール支社Kroll Associates (S) Pte Ltdで地政学リスク評価、非財務・法務のビジネスデューデリジェンスを手がけた。2023年4月より現職、対外情報発信やビジネスインテリジェンスの強化等に従事。
共著書に「東南アジア文化事典」(2019年、丸善出版)、「ポスト・マハティール時代のマレーシア-政治と経済はどうかわったか」(2018年、アジア経済研究所)、「東南アジアのイスラーム」(2012年、東京外国語大学出版会)、「マハティール政権下のマレーシア-イスラーム先進国を目指した22年」(2006年、アジア経済研究所)。
栃木県足利市出身。NewsPicksプロピッカー、LinkedInトップボイス。
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